原点

2021/7/19 (月)

 

久しぶりに文を書く

 

体感的には色々なことがあったのだが

俯瞰してみると、ただ同じところをぐるっと回っただけである

考えていることも同じく堂々巡りしている

 

なので、ここに考えを書き記すことで同じ考えをしなくて済むようにしたいところ

 

 

さて

このところ考えていたことは、何を大切に感じているのか、ということだ

あらゆる行動指針を定めるにあたって基準になるものが欲しいと思うが、

それには、どう調べても、どう考えても、人生としての目的が必要になる

 

あまり大それたことを考えるのは好きではない

特に自分に向き合うというのは拒否反応が出る

それは劣等感や自己肯定感の低さの表れなのだろうが、

今までしてこなかった話であって

それが故に、今困ってしまっていると言う話でもある

 

正直、目的と言われても思いつくものではない

寿命を迎えるその日まで、楽しく気持ちよく過ごせれば、それでいいだろう

ならば、私にとって良き環境を整えると言うことで話を進めるのがいいかと思った

 

過去に心ときめく経験・体験は何であったろうか

と聞かれれば

自力でナンバープレースの解法を見つけたこと

と答えている

 

1〜9の数字をマス目に重複しないように埋めていくパズルで新聞に時々掲載されていた

小学生だった私は、初め適当に数字を埋めていき、たまたま解くことができた

それから法則を理解するようになり、頭を多少使うようになった

どうすれば、確実に数字をうまく入れることができるのか

数字ごとに調べてみようとか

列や行、3*3のマスごとに調べてみるとか

定石になるものができてきた

特別すごいものではない

ちょっと論理が分かれば誰にでも思いつく内容だ

 

しかし、超難問と呼ばれる種のものがナンバープレースには存在する

これは、ちょっとの論理では思いつく内容ではなく、初見では解けない人が多いはずだ

中学生の頃の私はひたすら考えていたが、どうにも解けなかった

 

高校生になった頃、ふとしたきっかけで、それは解けるようになった

突然、超難問に対してのアプローチの仕方が分かるようになったのだ

それは今からしてみるとお粗末な内容で、完璧とは言えない方法ではあるが、

世界が変わるような衝撃を受けた

 

だから

できない、に対して、方法を作り出す

と言うことに面白みを見出す悲しい性格なのだと思う

 

悲しいと言うのは、ほとんどのことは先人たちが研究し体系化していることだ

車輪の再発明は勉強または趣味でしかなく、生産的ではない

つまり私の楽しいことは、お金にならないので、

良き環境の中にはどうしても異物を取り込む必要があると言うことだ